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GoogleのDoodleに杉原千畝、ユダヤ人に命のビザを発給 [海外]

Doodleとは


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出典:Doodle アーカイブ
Googleは、検索画面を使って「祝日や記念日、有名な画家や先駆者、科学者の生誕などを祝うため、斬新で楽しく、自由な手法で Googleのロゴマークをアレンジする」ということをやっているそうです。Doodle(ドゥードゥル)と呼んでいますね。29日のDoodleに日本人が採用されました。

カナダ、イギリス、アイスランド、ドイツ、チェコ、ポーランド、ラトビア、リトアニア、台湾、日本で表示されたようです。


杉原千畝(ちうね)とは


その人の名前は杉原千畝(ちうね)です。数千人のユダヤ人の命を救ったことで知られていますね。第二次世界大戦時、迫害されたユダヤ人がリトアニアに一時避難するわけですが、そのときにリトアニアの日本領事館領事代理をしていた人物です。

政府の命令に逆らって,日本を通過するビザを大量に発給しました。命のビザと呼ばれています。

ビザを手にしたリトアニアからのユダヤ避難民は、シベリア鉄道を使って大陸を横断しています。大陸の東端、ウラジオストクから福井県の敦賀まで、日本に輸送するのにはジャパン・ツーリスト・ビューロー(今のJTBの前身)の職員の人たちが尽力しました。

昭和15年~昭和16年にかけて、10ヶ月で約4000人を運んだそうです。そのおかげで避難民は、オランダ領キュラソーをはじめとして世界各地に逃れることができました。

50年近くたって名誉回復


一人の外交官が、ルールを破ったことで多くの命が助かりました。ルールを遵守すると命は救えませんでした。しかし日本に帰国すると、外務省から辞職勧告をされてしまい職を追われてしまいました。それから不遇の時代をすごしたようですね。

戦後に、救われたユダヤ人たちが杉原を必死に探しましたが、杉原が外国人が発音しやすいように、せんぽ(千畝)を自称していたので情報が合致せず、なかなか見つからなかったそうです。

長い間、血眼になって探して、ようやく再会できたようですね。ユダヤ人たちが感謝し、会おうとしなければ歴史に埋もれたままだったかもしれませんね。

日本では、鈴木宗男の働きかけによって、1991年に初めて名誉回復が図られ、完全に名誉を回復するのは、生誕100周年にあたる2000年まで待たなければなりませんでした。

イスラエルからは、諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)をあたえられ尊敬を集めているとのことです。

記念碑が撤去


今年になって、イスラエルに建てられた記念碑が撤去されていた、なんて悲しいニュースもありましたが、現地でも批判を受け、5月に新しい記念碑が設置されました。

杉原千畝の功績が風化しないように、日本とイスラエルの両国でずっと努力していきたいですね。


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