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11月の大嘗祭で使う米を無事に収穫、京都と栃木で斎田抜穂の儀 [ニュース]

斎田抜穂の儀(さいでんぬきほのぎ)について


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注)実際のものとは関係がありません。
天皇陛下の即位にともなう、大嘗祭(だいじょうさい)で使う米を収穫する斎田抜穂の儀(さいでんぬきほのぎ)が、27日におこなわれました。斎田の近くにしめ縄を張った斎場が設けられ、天皇陛下より抜穂使(ぬきほし)として派遣された皇室の宮中祭祀をつかさどる掌典職が、祓所(はらえど)の中に入って祝詞をよみあげました。

つづいて、大田主(おおたぬし)が黒い烏帽子(えぼし)に白張黄単(はくちょうきひとえ)、地元の男性ら(奉耕者)10人が黒い烏帽子と白張(はくちょう)を着て田んぼに入り、稲を刈りました。刈り取った稲は4束にまとめられ、三方(さんぼう)と呼ばれる白木の台に載せて斎場に運ばれ、抜穂使の確認を受けたあと、稲実殿(いなのみでん)に置かれ、儀式は1時間ほどで終わったそうです。

斎田抜穂の儀は、、京都府南丹市と栃木県の高根沢町の斎田で午前10時から同時に行われました。これから、稲の乾燥と脱穀など、まだまだ残りの作業があるとのことです。斎田からは、宮内庁が精米180kgと玄米7.5kgを買い取ることになっているそうです。

斎田抜穂前一日大祓について


本当に、儀式というのは大変ですね。27日の前の日、26日の午後3時から、収穫する人の体を清めるおはらいがおこなわれてます。京都では、主基斎田抜穂前一日大祓(すきさいでんぬきほぜんいちにちおおはらい)、栃木では悠紀斎田抜穂前一日大祓(ゆきさいでんぬきほぜんいちにちおおはらい)がおこなわれました。

掌典職が大祓の詞(おおはらいのことば)を読み上げたあと、榊などを束ねて作った大麻(おおぬさ)でおはらいをし、けがれを移らせた祓物(はらえつもの)を近くを流れる大堰川(おおいがわ) 、鬼怒川(きぬがわ)にそれぞれ流して、関係者の身を清めたそうです。

近代以降の大嘗祭が行われた年と斎田の場所について


明治 1871年 悠紀斎田山梨県 主基斎田千葉県
大正 1915年 悠紀斎田愛知県 主基斎田香川県
昭和 1928年 悠紀斎田滋賀県 主基斎田福岡県
平成 1990年 悠紀斎田秋田県 主基斎田大分県
※平成と令和は新潟、長野、静岡を含む東日本18都道府県を悠紀地方、その他の西日本29府県を主基地方としたそうです。
参照元:東京新聞

平成の大嘗祭で使われた米について


平成の大嘗祭で使われた秋田県のあきたこまちは、大嘗祭をきっかけに全国にその名前を知られるようになり、一大ブランドになったそうです。

大分県のほうは、大分県議会の議事録を見ても、とよむすめというお米でまちがいないようですが、これが調べてもこの名前のお米の品種がまったくヒットしません。そばとか大豆の品種になってしまいますね。

大嘗祭をあつかった書籍の中に、農林22号であるとよむすめ、という風にかろうじて名前が出てくるわけですが、ちょっと詳しい経緯がわかりませんでしたね。農林22号はコシヒカリの母親にあたる品種です。献上するときに、農林22号に特別に名前をつけたのではないかと推測します。

玖珠町(くすまち)でつくられたお米が大嘗祭に使われたということがアピールになって、玖珠米のひとめぼれ(3年連続特Aランク)が、JR九州のクルーズトレイン「ななつ星in九州」のレストランでつかわれているそうです。令和の大嘗祭で使われる、とちぎの星とキヌヒカリもますます有名になるといいですね。

最後に


順調に、ここまではきているようですね。大田主というのは大変名誉なことらしく、平成の大田主は、節目節目の式典に招かれるなどしたそうです。地域のブランドを広めるために、その後もずっと活躍されているみたいですね。



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